野球との向き合い方の難しさ

どのスポーツも共有している内容かもしれません。
野球が好きで、楽しくて仕方ない。そこまで思い馳せて大人になっても向き合い続けられる人は、幸せなんだと思います。
だからと言って、「上述の様になれない人 = 不幸」というのは違います。

一つのチームの中には、野球に対する向き合い方や、野球へ注ぐ思いの度合いが異なる選手が存在するわけです。これは当然の話であり、皆が同じ程度・同じ感覚で野球を見ているわけではありません。

だからこそ、「チームが一つになる」というのは難しいのです。

考えてみてください、強制的に野球をやらせれている選手は、「やらされている感」が強く、自発的な行動や思いにはなかなか移行しないと言えます。寧ろ、好きだったはずの野球が嫌いになっていく可能性すら秘めています。

しかし、誰しも自分を律する事ができるほど、人間は賢くありません。
しんどい練習は、体・気持ちが楽をしようと働くものであり、人間として自然な反応と言えます。その意味では、「強制的に野球をやらされる」という要素も必要要素と言えます。この程度が行き過ぎたり、方向が間違ってしまうと、暴力や圧力での抑圧という結果に出てしまいます。

高校野球において、強豪校に行くことが正解か?!

私の学生の頃は、私立高校が強豪校でした。公立高校は主立って以下の理由で強豪校が少なかったです。
・学校が野球部に費用や設備投資を積極的に行っていない
・私立高校は、有能な監督・コーチを自校の判断で抜擢できる
・私立高校は、登校校区の制限が明示的には無いので、広範囲から選手が集う
・2020年現在ほど、ネットインフラが整っておらず、情報格差が大きかった

他にも理由はあるでしょうが、私が当時と今を見比べて感じる要素はこんな感じです。現在も強豪校と言われる高校が、私立高校の方が多いとは思いますが、公立高校にも甲子園に出場する学校が多数存在しますし、甲子園に出れないまでも大会で好成績を残す公立高校は、私の学生時代よりは増加しています。
もしかすると、少子化で統廃合が進み、校区が広がったことから、自ずと選手が集まった。という時代背景も関わっていたりするのかもしれません。

話を本題に戻し、今の時代において強豪校へ行くことが正解か?という問いに対して、条件付きになりますが、個人的には「正解」だと思っています。
その条件とは、野球が誰よりも好きで、正面切って野球と向き合える腹積もりがある人は。というものです。

要は、中途半端に野球が好きな人は、強豪校に行かない方が良いという事です。
逆に、野球が誰よりも好きで、野球ととことん向き合ると言える人は、3流チームにはいかない方が良い。選手感の温度差に自分の能力や気持ちが引っ張られてしまい、成長幅があるにも関わらず、その機会を失う事になりかねません。
高校生の3年間は成長幅が大きく、確実に無駄にしてはいけない期間だと言えます。

今も昔も、強豪校に集う選手は、野球が上手いだけではないのです。
精神的にも、野球に人生を賭ける思いが誰よりも高く、どれだけ野球に向き合っているか?という点でも競い合っていると言えるのです。

高校野球において、強豪校は甲子園出場常連校だけではない

強豪校と一言でいっても、甲子園常連校だけを指しません。
県内ベスト4やベスト8に常に食い込む学校は、十分強豪校と言えます。

野球との向き合い方は申し分ない選手が、県下1番の学校に入ったは良いものの、一度も試合に出れないというのも本人にとって良いと言い切れません。
それだけに、後1歩で甲子園に出が届く総合力を持っている学校であり、自分の実力的に試合に出れそうな学校に入るのも正しい選択と言えます。

トップクラスの野球選手と切磋琢磨するのも正しいですが、試合でしか詰めない経験もありますので、試合に出ることも念頭の置いて、少しだけチームランクを下げて学校選択をするのも戦略の一つと言えます。

野球ととことん向き合う選手を対象に書いたが・・・

ここまで、野球にとことんな選手をイメージして綴ってきましたが、ほどほどに野球が好きな選手も甲子園を目指す権利はありますし、それを誰も否定するものではありません。あくまでここで綴っているのは、野球にとことんな選手と肩を並べると、その温度差から、自滅する可能性があることに言及をしています。

野球が好きな思いを、嫌いになってしまうのは勿体ないですし、これから先の人生で、野球をとことん突き詰めるきっかけに出会う可能性だってあります。だから、今の自分に無理を強いらずとも野球と歩み寄れる環境を見つける事が「正解」でしょうか。